慈眼寺とは
曹洞宗・白華山(はくかざん)慈眼寺は今から570年あまり前、室町時代の文安2年(1445年)に心安守公和尚により開山されました。
白華山慈眼寺の名は「晋山上堂の夜、白華庭前に開くと夢む」*という謂われより山号を白華山としました。
*訳:晋山式(新しい住職が正式に寺に入る儀式)の夜、庭に白華が開くという霊夢を見た。
また、法華経第25品「観世音菩薩普門品」中の「具一切功徳慈眼視衆生」の深意をとって慈眼寺といたしました。
当山は、武相観音第42番札所としても多くの方々に参詣していただいております。
【曹洞宗について】
■宗旨
曹洞宗は、お釈迦さまより歴代の祖師によって相続されてきた「正伝の仏法」をよりどころとします。
坐禅を修行の根本とし、坐禅の実践によって得られる身と心のやすらぎが、そのまま「仏の姿」であると自覚し、仏道にかなった生き方をすることを目指します。
■開宗
曹洞宗は、今から八百年ほど前の鎌倉時代に、高祖(こうそ)道元(どうげん)禅師(ぜんじ)さまが日本に教えを伝えてその基盤を確立されました。
道元禅師さまが亡くなられてから五十年後、太祖瑩山(たいそけいざん)禅師(ぜんじ)さまが多くのお弟子さまとともに一層盛んにされました。
このおふたりを両祖としてお慕い申し上げています。
■大本山
福井県吉田郡の永平寺 (ご開山 道元禅師)
神奈川県横浜市の總持寺(ご開山 瑩山禅師)
■本尊
曹洞宗は、釈迦牟尼仏をご本尊とします。
「南無釈迦牟尼仏」とお唱えします。
■教義
わたしたちは、仏さまと同じ「仏心」を与えられてこの世に生まれました。
しかし、その尊さに気づかずわがまま勝手な生活をして、苦しみや悩みのもとをつくっています。
そこでわたしたちは、釈迦牟尼仏、高祖道元禅師さま、太祖瑩山禅師さま(一仏両祖)の御前で誓いを新たにし、仏の教えを信じ、仏の教えに導かれて、本来の自分の姿(仏)に目覚め、まごころに生きる実践を深めなければならないのです。
そこに生きがいと幸福を見いだすのが曹洞宗です。
■教典
『修証義』『摩訶般若波羅蜜多心経』『妙法蓮華経普門品』などの諸教典です。
曹洞宗の坐禅は「只管打坐」(しんかんたざ)と言い、様々な思惑や欲にとらわれることなく、ただひたすら何も考えないで坐する姿が「仏の姿」であり、悟りの姿です。
坐禅をすることによって、“無”に成ることが大切なのです。
最初は“無”になることが難しいのですが、慣れてくると少しずつ“無”になる時間が増えてきます。
私たちが日常生活を送る中で、様々なことを懸命に励む様子は働きながら坐禅をしているのと同じです。
何事にも没頭し、一生懸命取り組むことにより、充実感とすがすがしさを感じることが出来ると思います。今を大事に精一杯生きましょう。
■悟りの世界へ
悟りとは、迷いの世界を超え、真理を体得することです。まずは簡単なことから始めてみましょう。
「きょうのおちかい」
一 きちんとすわって 手を合わせ
静かに息を整えよう
二 嘘をつかずに 話し合い
心と心を通わせよう
三 きょうがよい日であるように
力いっぱいがんばろう
四 不平をいわず 欲ばらず
たがいに明るく ありがとう
五 ささえあってる この世界
やさしい気持ちをだれにでも
六 すべてをごらんの 仏様
真理のみちにめざめよう
■六波羅蜜
六波羅蜜とは、この世に生かされたまま、仏様の境涯に到るための六つの修行をいいます。波羅蜜とは彼岸(悟りの世界)に到ることです。
- 布施・・・物でも心でも、見返りを求めないで施す
- 持戒・・・節度を守って人間らしく生きる
- 忍辱・・・どんなことも耐え忍ぶ
- 精進・・・怠けず努力をする
- 禅定・・・いつも心を落ち着かせる
- 智慧・・・自分勝手な思い込みでものを見ず、正しく見る
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